松代(海津)城跡・真田邸・文武学校・真田宝物館

 

松代(海津)城跡

永禄3(1560)年、武田信玄が上杉謙信の攻撃に備え、山本勘助に命じて築城したもの。第4回川中島合戦では武田軍はここへ終結して「きつつき戦法」で出陣した。

元の名前は海津城で、待城〜松城を経て1711年に現在の松代城となる。1622年に真田信之が丹生風して以後、明治の廃藩まで真田氏10万石の居城となる。

現在,城郭復元工事中(平成15年完成予定)。

天守台からの川中島方面の眺望はすばらしく、春には桜の名所になる。

真田邸

9代藩主真田幸教が母貞子の隠居場所として建てた大名屋敷 で花菖蒲や桜など色鮮やかに咲く自然豊かな広大な敷地が印象的。

江戸幕府が200年余り続けた参勤交代の制度が1862年に緩められ 藩主幸教は母「お貞の方」の帰国後の住居として建て、城外御殿として 例のない建物となっている。庭は小堀遠州の流れをくむといわれ心字 池があり、幸教によって「水心秋月亭」と名付けられた。敷地面積 約8,000u、建物床面積約860u、部屋数は53室。

長土塀や泉水、屋敷門や,白蔵などが見られる。

文武学校

真田氏が上田より松代に移藩してから廃藩までの10代250年間、殖産
を興し文武をすすめ、その治政に見るべきものがあった。特に8代幸貫が藩主を継ぐと、より一層文武を奨励し佐久間象山らの意見を入れ、蘭学・西洋砲術などを積極的に取り入れ、水戸の弘道館にならった文武学校の建設をすすめた。

その後9代幸教が幸貫の志を引継ぎ、1853年に建物を完成させ185
5年に開校式が行われ「文学所・御役所・教室・剣術所・柔術所・弓術所
・槍術所・文庫蔵・番所・門」などを備えたまさに「文武両道」を目指す
にふさわしい文武学校となった。

明治に入って兵制士官学校を併設し明治4年の廃藩にて閉鎖となるまで多 くの人材を輩出し、近代日本の発展に大きく寄与した。

文武学校の建物は現在も多くが残っていて,反抗の中も貴重な遺構である。

真田宝物館

松代真田家12代真田幸治氏が昭和41年松代町に真田邸と戦国の世以来4百数十年にわたり受け継がれた膨大な大名家伝承宝物を松代町に寄付し公開している。                      

宝物は国の重要文化財「青江の太刀」や県宝の武田信玄・豊臣秀吉・石
田三成・徳川家康らからの古文書など、甲冑・武具・服飾・調度・書画・楽器・茶器など2万点にも及ぶ収蔵品を、年に3〜4回入れ替え展示
を行っている。                     

全体的に「豪華絢爛」というより質素な宝物が多く真田の殿様は堅実な
生活をしていたことがうかがえる。