論理学と自然言語 

目次


第1節 論証を装った文章 − 受身形を使う

第2節 難解な文の危険

第3節 論理的におかしな文章

第4節 矛盾の後ろにあるもの

第5節 前提をうまく利用した言い抜け


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  第3章 正しからざる文

第4節 矛盾の後ろにあるもの

 一見矛盾した文というのはあるものです。例えば
「門松は冥土の旅の一里塚、楽しくもあり楽しくもなし」一休禅師
というのがあります。楽しいのか、楽しくないのか、一体どっちなの? と尋ねたくなりますがそこがこの句のミソでしょう。正月は楽しいもの、というのは確定している社会的真理でしょう。しかし良く考えてみれば人はやがて必ず死ななければならず、そこに一歩近づいているのですよ。それでも楽しいのですか? ということでしょう。
 一見矛盾した文というのはその裏に深い意味や事実が隠されていることがあります。
 物理学では、「光や電子は波動でありかつ粒子である」という矛盾的事実から量子力学という新しい学問が生まれました。波動と粒子が本当に矛盾する言葉なのかどうか、という論理的疑問はありますが、歴史においても矛盾から新しい物が生まれたことがあるのです。
 ヘーゲルの弁証法というのはこのような思考過程を体系化したものだと言われます。
 対立した2者の間で議論するとしましょう。意見が対立した、ということは両者が正しいとすると矛盾が起きるということです。もし両者が冷静ならそこから新しい事実が発見でき、両者がお互いによって自己を啓蒙することができるのです。しかしそれは両者が冷静で、論理的議論ができる、ということが前提になります。どちらか一方でも非論理的であれば生産的議論はできないのです。
 よく国会の党首討論で、「両者の意見は最後まで噛み合いませんでした」とマスコミが報じます。こういう報じ方だと、両者引き分けのように聞こえます。しかし、噛み合わないのは一方的に一方が非論理的な議論をしたせいかもしれません。マスコミは(というよりジャーナリストは)そのどちらの議論の仕方がおかしいのか分析し、視聴者や読者に知らせる必要があります。そうでないとマスコミまでが滅茶苦茶な答弁や追及をした側に加担したことになります。